昨日のスペースを聞いてくださったみなさま、ありがとうございます!

ONIちゃんとの対談について、私としては『とても良かった』と思っています。

スペース中には、

『不毛な議論』というコメントがありました。

これについて、どういった意図でコメントされたのかはわかりませんが、

多分、場の状況を的確に表す一言として投稿したのかな、という認識ですが、

ちょうどいいので、不毛というのをテーマにして振り返ってみたいと思います。

ONIちゃんとの対談は、不毛だったと思います。

しかし、討論とかディベートとか言われるものは、そもそも不毛なものです。

考え方、ポジションの違う者同士が討論をした場合に、

お互い、自分の意見や主張が正しい思っています。

自分が正しいと思っている者同士が話をするんですから、

どうせお互いに自分の意見を曲げたりしないものです。

討論番組などで、議論が加熱すると『もっと建設的な話をしましょう』と

水をさす人がいますが、

それは『私は冷静ですよマウント』を取りたいだけです。

討論の目的は、建設的なものを生み出すことではなく、

『見世物』であることだと、私は思います。

どうせ建設的なものなど生まれませんので、

熱量の方がよほど大切です。

『建設的にいきましょうマウント』をとって場を冷ます人は、

討論の存在意義・優先順位をわかっていないなと思います。
(よほど収集がつかなくなった場合は別ですが)

討論によって、

『おお、それはグッドアイデアですね!』

『素晴らしい結論ができました、これで世界は良くなります!』

『コングラッチュレーション!』

みたいな結末になることなんて、まずありません。

いつだって、討論はお互いの言いたいことをどれだけ吐き出せるかの場であり、

見に来る人は、その『争い』をエンターテイメントとして観覧しているものです。

それで、いいじゃないですか。

人にとって、昔から『争い』は、最高のエンターテイメントのひとつです。

ソクラテスの時代から哲学者は討論を見世物にして客を集め、

コロシアムでは殴り合います。

見たくない人は、見ないでしょう。

でも、見たい人も、いるかもしれない。

じゃあ、やったらいいじゃないですか、不毛な議論を。

そして、討論をしている当事者は不毛であっても、

見ている人は、冷静な目でそれを観察し、新しい知見やアイデアを得るキッカケになるかもしれません。

そういう場所が、無いよりも、あったほうが、選択肢が多くて、いいじゃないですか。

だから、私は『不毛』『非建設的』で、まったく問題が無いと思います。

あるのは、せいぜい『建設的風』の討論です。

見た人に、何となく建設的風な事をいったように
思い込ませるトークが得意な人は、います。(橋下徹さんのような人です)

・・・

殴りあいの戦いをしたあとで、

握手をして認め合うのも良いですし、

マットに倒れた相手に中指を突き立てる青木選手スタイルでも、良いでしょう。

それぞれ、望む人がいるでしょうし、好きにすればいい。

多くの人は、『完全な平和主義』ではありません。

他人の殴り合いを見るのが好きなのは、紛れもない事実です。

綺麗事なんて耳を貸さずに、見たいものを見ればいいし、自分が演じたい舞台に立てばいい。

私は、そう思っています。

昨日のスペースは、すでに2,700人のかたが聞いてくださっています。

NFT界隈でのスペースとしては、あまり見ない数です。

『狭いNFT市場なんだから、仲良くしようよ』という【建前】を言うヒトは多いですが、

いろいろあったほうが、面白いですよ。

喧嘩ばかりの市場なら、仲良くするスペースのほうが価値を持つかもしれません。

でも、言いたいことが言えていないNFTでは、

仲良くやっているスペースより、不毛な議論のほうが、需要があるのかもしれませんよ。

と、私は思っておりますし、これからも、そういうスタイルでやっていこうと思っています。

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