『NFTは哲学を表現する手段である』

皆さま、はじめまして。キトナと申します。

現在、FXトレーディングを副業とし注力する傍ら、その失敗や成功での気付きを創作に活かすという考えでもって、GAMに参加させて頂いている者です。

この度、アンチくんの運営メンバーとして、NFTや暗号資産、投資についてのコラムをメンバー限定のフィールドに寄稿させて頂ける機会を頂戴し、さて、何を書こうと考えたとき、パッと頭に浮かんだのは、

『アンチくん運営メンバーだから、何かアンチ的要素のある内容がいいだろう』

というものでした。

ですが、私はアンチ度が高い、とはお世辞にも言える性格をしておりません。

ましてやNFT本音トークの場、IHBでろくに発言もしていない自分では、アンチの帝王と言える『アンチくん』の生みの親である、ozさんの足元にも及ばないと考えております。

そんな自分が、アンチくんのNFTを5枚購入して運営メンバーになったからと言って、急にアンチ的に行動して発言をしたとしても説得力はありませんし、継続することも出来ないのは日を見るより明らかです。

何せ、元々の性格がアンチ向きではないのです。

では、どうしてお前は運営メンバーを志願したのか、というと、それはGAMに参加したのと同じ理由、運営のozさんが持つ『哲学』を、近くで体験して学びたいからです。

ozさんは実業を営まれている上で、ブロックチェーンという革命的な技術の中で生まれたNFTを通し、DollyMeDollというご自身の夢である球体関節人形の世界を作ることを表現されています。

大事なところは、この『自分の心を表に現している』ことだ、と私は思っています。

なぜ、それを大事だと考えているかと言うと、古い話になりますが、2000年から2004年に掛けて、私は相棒とふたりでコンビを組んで、『同人誌即売会』というフィジカルイベントに同人誌を製作して参加をしていた時期があり、その現場において肌で感じた大きな気付きがあるからです。

『同人誌即売会』というのは、大雑把に言えば、出版社や時の権力に縛られずに参加者が自由に情熱を表現した『同人誌』を、同じ参加者同士で分かち合うイベントのことです。(ただし、昨今は様々な形態で運営されているものがありますので、一概には言えないと思っています。)

その環境において、サークル参加をしている方々は『自分の心を表(同人誌)に現している人たち』ばかりでした。

私も相棒も、勿論そうでした。

隣のサークルさんの情熱の塊である本に、評論家を気取ってあれこれいちゃもんを付けることなど自分の中では論外でした。

なぜなら、自分を含め誰かの情熱が、姿形を持ってただそこにあるだけだったからです。

時を経て、クリプトに興味を持って勉強していくなかで、日本におけるNFTを取り巻く環境は、それに近いものがあるように私は感じました。

OpenSeaなどのマーケットプレイスに、それぞれサークル参加者の方々がブースを広げているように私には見えたからです。

そして、当時のように『創作活動をやってみよう』という気持ちになりました。

なので、そういった『情熱の自由な表現の手段のひとつ』という側面を持ったNFTに、自分の利益のためだけに自らの概念を押し付け、他者を操作するような手法を用いる事は、私はおかしいことだと思います。

それが大勢に向かってアンチでいることと言えるのなら、当時のアニメオタク業界を支配した(あくまでリアルタイムで体感した私の感想ですが)所謂『萌え』という概念(幼さや可愛らしさを愛でる、瑞々しい草木の新芽を表現した言葉を語源として生まれたスラング:当時)、その只中にありながら、行き過ぎた業界に対して『萌えだったら何でもいいのか』とアンチ萌え的信念で活動した私も、少なからずアンチ的要素を持っているのかもしれません。

しかし、当時の私の活動は、特に大勢の流れを変えることも作ることもありませんでした。それは技術、実力の無さも勿論ですが、何より『ビジネス思考』がまるで無かったことが大きかったと思います。

『ビジネス思考』とは『勝つために計画的に考える』ことだと私は考えており、その中で市場を研究し、ブルーオーシャンを選び抜き、そこの獲得を目指すやり方を設定すると、そこにまったく触れることもなく、ただただ市場を支配していた大勢に従い、レッドオーシャンに自ら飛び込んでいることを分かっていながら(同じ土俵に上手い人、強い人はいくらでもいることを分かっている)飛び込むしかないと自分で思い込んでおり、経済的な結果としてはただただ『その他大勢』として溺れるのみという4年間を過ごしました。

レッドオーシャンであればそれならそれで、高校野球に例えるならば強豪ひしめく甲子園、出場権利獲得から引いては優勝までをもぎ取るためにはどうすればその『土俵』で勝っていけるのか、知恵を絞りに絞ることになるわけですが、私はそもそものビジネス思考を持っていなかったため為す術もなかったのです。

個人のNFT活動に置き換えて考えてみると、趣味思考のことも、ビジネス思考のことも勉強して、ある程度ミックスして自分に合った配合で、コレクションを運営してみると、少なくとも何かの実りがある、自分を一歩でも二歩でも成長させてくれるものだと感じています。

趣味思考、ビジネス思考のどちらかに極端に偏るやり方もありますが、バランスが悪いため構造的な問題が表面化し、どちらも長続きしづらい傾向があると思うので私は避けています。

前者のミックス型である私は、NFTでの創作活動を比率は趣味6,ビジネス4くらいで行っています。(『趣味』『ビジネス』とお互いの概念を一括りにするのも問題があるのですが、ここでは『趣味』を楽しむこと、好きなこと、などとし、『ビジネス』を前述したように、勝つために計画的に行動する、というような考えを当てこんでいます。)

この比率がどれくらいだろうかという視点を持って見てみると、その人(プロジェクト)が何を思って、どんなつもりでその物事に取り組んでいるのかが分かり、哲学が垣間見えると思っています。

人によって、たとえ意識していなくても、その比率は違うものだと思うからです。

どちらが良いか、悪いかという話はまた別の話で、ここで言いたいのは重要なのはバランスであるという事です。この思考法を持っていなかった昔の自分は、自分が大事にしている趣味思考の産物をターゲットに届かせるやり方すら知らなかった、なまじイベントに出ていたため土俵に立っている気になっていただけだった、という苦い経験をしたことから導き出したものになります。

これは自分を含め、現在のNFT業界に参入された参加者の方々にもある程度同じ事が言えると思っています。趣味思考だけでも、ビジネス思考だけでも、これからも活動を続けるのであれば、道中を苦しいだけのものにしないためにも、比率1:9、9:1でも良いので、お互いを受け入れてバランスを見てみると、継続力とリーチ力(ターゲットに届かせる力)が高まるのではないか、と思います。

私も道半ば、これからもバランスを考えて、自身の哲学を表現し、皆さまの哲学を勉強し、タフに生き残りたいと思います。

貴重なお時間を頂戴し、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!