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みなさま、おはようございます!

嘘くさいポジティブが嫌いな、夢見人形です!

さて、本日もアンチなコラムのお時間です。

人というのは。

他人に対してネガティブな感情を持ってしまう生き物です。

これは生存競争を勝ち抜くために必要な要素として進化したものであり、

そうそう抗えるものではなく、むしろ自然な感情です。

にも関わらず、

世の中では『人の批判をしたって何もならない』とか、

『もっと建設的な事に頭を使えないの?』とか。

批判はとにかく悪である、という『偽善』が、真実かのように幅を効かせております。

この『世の中の嘘』を真に受けてしまうと、

アナタは利用されるだけの損な役回りを生きる可能性が高くなってしまうかと思います。

前回お話しましたが、

人は誰しも『ゴシップ』が好きです。

『ゴシップなんかで騒いでる暇があれば自分を磨け!』と言っている、

例えば西野亮廣さんなんかも、

『ゴシップで騒いでるヤツを見て、騒いでいる人』です。

ゴシップというステージを、どの角度の席から見ているかだけの違いです。

どちらも、『他者の気に食わない部分』を見つけて盛り上がっている、まったく同じ行為です。

西野さんも、ゴシップで騒いでるヤツを馬鹿にしている暇があれば、自分を磨けば良いと思います。

しかしまあ。

世の中には、本当に、

この『観客席』では騒がない人も、います。

そういった方は、大抵は『舞台裏』で愚痴をこぼします。

どのくらいのトーンで愚痴るかは個人差があるかと思いますが、

控えめな人でも、

家族や友人などの身近な人に

『みんな好きなことばっか言って、勝手だよね』といった感じで。

目立たない場所で言っていたりしますよね。

これは、

『表で批判をしたら、悪口を言う人だと思われるのがイヤだから』

というデメリットを考えているから、

表では批判を口にしない戦略を取っているわけですね。

決して、『他者の批判をしたい』という本能が無い人、ではありません。

さらに言いますと。

『舞台裏』でさえも、人の批判をしない人というのも、これまた存在します。

家族にも友人にも、一切、他人の批判を口にしない人。

ここまでくると、すでに1%くらいの希少種になるかと思いますが、

たしかにそういう人、います。

そういった人は、

①[めっちゃ我慢してる人]

②[人に対してネガティブな感情を一切抱かない特殊な人]

のどちらかという事になりますが、

『②の領域』に達している人は、

そこまでいったら悩みなどもないでしょうし、

私のコラムなどとも無縁でしょうから、度外視させていただきます。

ただただ、すごい人ですね、と思います。

さて。

ここまでにお話した人達の悪口レベルを

上から順番に数字化したら、

私のような悪口の帝王が100で、

『舞台裏でも批判しない人』が0という感じになるかと思いますが。

しかし。

この悪口レベルが低すぎる人に言いたいのですが。

我慢しすぎると、シンドくないですか?

……そう。

こんな中途半端なところで今回の結論を言いますと、

『本当は批判をしたいにも関わらず、体裁を気にして我慢をしすぎるのは心に毒ですし、損する場面も多くなりますよ』

というのが、言いたいことであります。

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最後の『超越した人』を除けば、

誰もが大なり小なり、

他人に対してネガティブな感情くらい持っているわけです。

『普通の感覚の人間』であれば、

日々、言いたいことを我慢しているわけですね。

私のような100点の者でも、それなりに我慢することはありますよ?

で、私が重要だと思うのは『なぜ我慢しているのか』です。

私が我慢するのは、

『我慢しなければ余計にストレスが生じる状況になることが予想される時』です。

何でもかんでも言いたいことを口に出す人は、

日常生活がまともに機能しないと思います。

私のような者でも、日常生活で言いたいことを言うのは、30%くらいです。

しかし、周りを見渡してみますと、

多くの人は、もっと我慢しているかと思います。

そこには、『人の批判をしたって何もならない』というすり込みが、

大きく影響しているように思っております。

要は、『周りが悪口はダメなものといっているから我慢している』という事です。

アナタの我慢している理由は、

『自分の判断』なのか

『周りがダメというから』なのか、

どちらでしょうか?

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まず、はっきりと申し上げたいのは。

『批判なんかしても何も生まれない』は、

明確な『嘘』です。

批判することで生まれるものは、非常に多くあります。

世の中の自己啓発系のインフルエンサーさんについては、

ほぼ100%、批判によって支持を集めております。

多くの場合は、『世の中の凡人って、馬鹿だよね』という、

大衆批判をベースにして、自分の凄さをアピールする手法です。

『毎日電車通勤するサラリーマン』を馬鹿にしたりするのは、定番ネタですよね。

これは、批判以外のナニモノでもありません。

立派な『悪口』ですよ。

電車通勤するサラリーマンがいるから世の中が成り立っているんですけどね。

橋下徹さんなんかは、『公務員』や『朝日新聞』を仮想敵にする事で支持を集めておりましたね。

朝日はともかく、

公務員は真面目な人も多いと思いますが、

収入が安定しているからという理由で、

『群衆に嫉妬させる対象』として非常に都合が良かったのでしょうね。

橋下さんには良い部分もたくさんありますが、

『批判』を徹底的に活用した戦術を取っていたのは間違いありませんよね。

いまお話しているのは、『批判はダメ』という事ではなく、

『うまいことやりましたよね』というお話です。

国のルールを決めている政治家にしても、

世論を誘導しているコメンテーターにしても。

支持を集めているのは、批判の上手い人物です。

一見したら『批判っぽくない話し方』を使いこなす人も多いですが、

中身を注視したら、しっかりと批判です。

世の中を動かしている中心にいるのは、批判の達人たちなわけです。

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人の本能というのは、それほど『批判』を求めているということであり、

そんな人間の世界で生きていれば、『批判は武器になる』というケースが多い事は、

疑いようのない事実なわけです。

『批判は何も生まない』は嘘であり、

『批判からは多くのものが生まれる』が、真実です。

また。

批判を一切しない人は、利用されやすい傾向もあるのではないでしょうか。

言いたいことを言わない人は、

他者からしたら、

自分の都合を押し付けやすいのです。

何をいっても批判しないのであれば、

相手の言い分を否定することもできず、

主導権を握られやすいのは、必然かと思います。

ですので。

批判をうまく使わなければ、

競争社会ではうまく立ち回れない、という側面はあるかと思います。

ここまで、あえて『批判』や『悪口』といった単語を使っていますが、

間違っているものを見て、間違っていると主張することや、

自分が心の中で思っていることを声に出すことは、

『まっとうな意見』ではないでしょうか。

それを過度に制限された状態は、人として自由に生きることを制限されているようなものです。

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とまあ。

批判の有用性みたいなのを語ったりしましたが、

もっとシンプルに言えば、

中盤で言いました結論のように、

『言いたいことを我慢してばかりだと、シンドくないですか?』

という事です。

状況に応じて、『自分の意思』で我慢したほうが得だと思うなら、

我慢すれば良いと思いますが、

一般論としての『批判はヨクナイ』を真に受けてしまった結果の我慢なら、

もっと自分の心に向き合って正直になった方が、楽に生きれるのはでないでしょうか?

『嫉妬や憎しみは良くない』という言葉は、非現実的なものです。

それらは『人として当たり前の感情』なのだから、

嫉妬や憎しみを抱いてしてしまう自分の感情を、嫌わなくても良いのではないでしょうか?

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今回のまとめです。

『誰かの言った常識ではなく、自分で決めた判断で行動を決めましょう』

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